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「地獄一丁目一地番地からの散歩」関野和寛(ルーテル津田沼教会牧師/病院チャプレン)

■地獄の一丁目一番地


今年一番嬉しかった事は、チャプレンとして働いてる大阪の病院で


ある高齢の女性Aさんと散歩に出かけた事である。Aさんは家族も居るし、


貯蓄もある。重篤な病で自分の余命が長くない事は受け入れようとしていた


のだが、ある日転倒し腕と足を折ってしまった。そこから車椅子生活、


骨折した腕で、自分で食事を取ることができなくなってしまい、Aさんの


感情は爆発した。



全てが虚しくなり、涙が止まらない。四六時中「カーテンで首を吊って


死んだ」と毎日語るようになってしまった。こうなるとホスピスも家族も


手がつけられない、精神科への入院かという状況になったのだ。


呼ばれてAさんの部屋に行くと、Aさんは泣きながら訴えて来た


「もう生きている意味が本当になくなった」「立派な家を建てたのにもう


帰れない」「あんなに家族がいるのに誰も会いに来てくれない」


「貯金だって結構ある。でも銀行に行くこともできない!」


「この施設には沢山人とが居る。でも私と話してくれる人は誰もいない。


ここは地獄の一丁目一番地やで!」。



■地獄からお散歩へ


Aさんは社会的に見れば、人間関係、経済面、


恵まれた人生を過ごされてきた。


だが人生の最後の時間、家族も財産もあるのに


それが心を満たしてはくれない


のだ。そしてこの状況が変わる事はない。


聖書で言えば荒野の中を唯ひたすらに


彷徨うようなもの。そこには希望がない。



だが最中Aさんがぽつりとひと言「買い物も行けん。せめて散歩にでも


行ければ、、、」私はすぐさま言った「じゃあ今行きましょう!」。


散歩がOKかどうかスタッフに尋ねると、外出同行は基本家族のみとの事で


あった。すかさず「基本チャプレンは家族以上です!」と言うと


特別に許可が出た。



なんとAさんにとって3ヶ月ぶりの外出であった。


車椅子を押して外に出ると病院の駐車場に小さな植木鉢が


あり花が咲いていた。Aさんを花を見ると「花が咲いている!」と


涙を流して喜ばれた。それから「空気が美味しい、、、」


「背中に注ぐお日様が温かい!」「街が動いている、、、」


「私も生きてるんやな、、、」と言われた。



「Aさん、本当にこれまでよく忍耐されてきましたね。


その分だけ全てが美しく見えるのではないでしょうか?


地獄の一丁目一番地から地獄の一丁目二番地くらい、


少しお気分が変わったのでは?」と問いかけると。



Aさんは大声で大きな笑顔で言った


「もう地獄なんてあらへんで!」と。


確かにAさんを支配していた地獄は消えて


いたのだ。


一回の散歩なのに、たった十数分の散歩なのに、


そこにはなんとも言えない喜びと感謝が溢れた。



■毎日感謝などできる訳がない


キリストの使徒パウロは聖書の中でテサロニケの教会の人々に


こう手紙を書いている。


「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。


どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、


神があなたがたに望んでおられることです。 」


‭‭(テサロニケの信徒への手紙一‬ ‭5‬章)



テサロニケの街で迫害されているクリスチャンたちに、


「何があっても、いつでも喜び感謝しよう」と勧めた。


それは盲信的に信仰を持たせ、困難の中に喜びがあると


無理に信じさせようとしているのではない。



パウロ自身も布教の旅で何度も迫害され、牢に入れられ、


裸にされ、鞭打たれたのだ。その事をパウロは「耐えられないほど


ひどく圧迫され、生きる望みさえ失った」(コリントの信徒への手紙二‬ ‭1‬章)


と絶望を吐露している。



つまりパウロはいつも喜んでいた訳ではない。むしろ逆に


常に不安と絶望の中に居たのだ。だからこそ常に祈るしか


なかったのだ。そしてその中でパウロは絶望の底にこそ


十字架で絶望されたイエスに出会ってしまったのだ。


孤独な絶望は真の絶望、けれども二人で足掻く絶望は


絶望では終わらない。パウロは絶望の十字架のイエス、


そして復活するイエスに出会ってしまったのだ。



つまり絶望の数より一つ希望が多い事を知っているのだ。


だから常に喜び、祈り、感謝するしかないのだ。


このクリスマスあなたの絶望に神の子が舞い降りるので


あれば、そこはもう地獄の一丁目一番地ではない。

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