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証「大事なものは多分見えにくい」: 神学生 福島慎太郎 2023年2月19日

主の変容

聖書箇所:出エジプト記24章12-18節、ペトロの手紙二1章16-21節、マタイによる福音書17章1-9節


 私は昨年まで福祉施設を運営する教会で研修をし、今でも時々お仕事をさせていただいております。昨年末、その施設と関わりのある方のお宅に伺いました。彼は自分の残りの命を大切に生きたいとあらゆる治療をやめ、自宅で最後の時を過ごしていました。整理された部屋、動かせない体、ご家族が見守る中、肌身で終わりの時間を感じていました。私は聞きました。「人生で今なお大切にしているものは何ですか」。すると彼はこう答えました。「イエスの姿だ。どれほど私が変わろうが、変わらず側に立ってくださるお方がいる」。私の心にグッときました。それは彼の言葉が美しかったからではなく、死に際して、なお私たちの隣にいるキリストの姿が私にも見えたからです。


 今日の場面、「六日目に」という言葉から始まります。何から時間が経ったのか。それはイエスが十字架にかかると弟子たちに宣告(マタイ16章)してからです。聖書の信仰、それは生活の知恵を語る以上の宗教、哲学、いや生き方そのものだと思います。それは私たちの生きる、死ぬ、その全てにおいてなお神の姿が見える、神の姿が見えるとはつまり私たちの限界状況においてもその先を見せようとする神の命があります。


 ある日、ペテロとヤコブとヨハネの三人がイエスに呼び出されました。恐らくただ事ではない雰囲気を感じていたでしょう。なぜなら十字架にイエスがかかるとイエス自身が宣告していたからです。聖書は淡々とその光景を記しています。しかし事態はそんな淡泊ではない。むしろイエスを頼りに、全てを捨てて人生を生きていたのにそのイエスがもういなくなると言うのです。そこには悲しみよりも怒りの方があったのではないかと思います。


 私たちの人生は、何かを選ぶと何かを捨てることになります。そこには成功の保証も何も無い。ただ私たちはそこに見える何かと今の自分を信じて歩き出すしか出来ません。言うならば人生の選択とは命がけです。


 この弟子たちもまた同じです。それぞれの仕事があった。しかしその経歴も何もかもを置いてきてイエスに従った。しかしそのイエスが今、いなくなろうとしているのです。そこにあるのは「あなたに着いてきたのに」という失望でしょう。


 場面は山、イエスに連れてこられた弟子たちは突然イエスの姿が変わるのを目撃します。顔が太陽のように輝く、これは新約聖書最後にあるヨハネの黙示録で天国がイエスの光によって照らされると書かれていることの預言です。衣は光のように白く、これは人の罪が許されることを象徴する聖書独自の表現です。


 ここで弟子たちが見たもの、それは、肉体は死ぬが、それでも生き続けるイエスの姿です。過去も今も未来もその先も人間を照らし、罪を赦すイエスの存在です。そこでペテロは言います。「幕屋を作ります!」。幕屋とは旧約聖書で登場する神の宿る場所とされたところです。これはイエスに対する最上の表現です。また目に見える神の居場所を確保することは弟子たちにとっても安心です。しかし神はその願いを否定しました。天から声が聞こえます。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」。


 この言葉はイエスがヨハネから洗礼を受けた時に与えられた時と同じ言葉です。ここで神が伝えたかったこと、それは本当に神の目から見て光り輝くもの、それは「今を新しく生きる命」です。洗礼、それはイエスに従おうとする者の決意です。イエスが光輝くこの場面、それはイエスが弟子たちに新しい命を示した瞬間でした。


 人間は、生きている状況において確かに困難があります、先が見えなくなる、死を意識する時がある。しかしそんな時にもなお、イエスは弟子たちに希望を見せました。死を超える存在が、限界を超える存在が、今あなたの横にいるのだ。さああなたはどうする。


 クリスチャンと言えども神が見える訳ではありません。いつも平安がある訳ではありません。だからこそ目に見える安心がほしい、自分の人生を支えてくれる保証がほしい。ペテロはまさにそうだったと思います。でも神は言うのです。最も大切なものは目に見えない、そして最も輝くものは今を生きる命だと。たとえそれが薄汚れて見えようが、それを輝かせるキリストがあなたの隣にいる。キリスト自身も死を間近にしていた。しかし彼はその時こそ輝いている。そのキリストがあなたの隣にいる。あなたは何も失っていないし、目に見える何かを追い求めなくていい。今のあなたの隣にはキリストがいる。


 だから私たち今日も、先が見えなくとも、命を輝かせるキリストが見たいのです。そして輝かせると神は約束しているのです。どのように光るのか、それは神とあなたのストーリーです。期待しつつ今日も歩きたい、失望もするけど隣にいるキリストがそれを受け止めてくれる。だからみんなで一緒に、混沌の世界を生きていきましょう。

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