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証:「檻を破れ」2023年9月17日 実習生 松井史音

聖霊降臨後第16主日

創世記50章15-21節、ローマの信徒への手紙14章1-12節、マタイによる福音書18章21-35節


私は大学の友人にお金を貸したことがあります。一昨年にそこに座っているひびき君と、友人たち5人で北海道に行ったんです。その旅行の前に、友人がお金が足りないと言ったんです。だから、私はその友人に1万円を貸しました。「ありがとう。 このお金は大学に帰ったら 必ず返すね。」と言われました。そして海鮮やラーメン、スープカレーを食べて、楽しい旅行だったのを覚えています。大学に帰ってきました。いまだにそのお金は帰ってきていません。

だけど私は、その友人をいじることはあるけれど、怒ったりはしません。それは信頼があるからです。皆さんお金を貸した経験はあるでしょうか。もしくはお金を借りた経験はあるでしょうか。それは少ない額かもしれないし、

とてつもなく大きい額かもしれません。

しかし聖書は語ります。「あなたたちは債務者だ。一人残らず神である私に、借りがある。」これはお金の話ではなく、唯一の神である私を裏切ったことがあるだろう。」と主は語ります。

今日ルーテル津田沼に来られた方の中で、またネットを通じてこれを見ている方の中で一度も罪を犯したことがない人いるでしょうか。友人、家族、あなたの周りにいる人を憎んだことはないのか、苦しめたことはないのか。と私たちにイエスは語るのです。それは意図してか、意図しなくとも私たちは憎んだり、馬鹿にしたり、時にはいなくなってしまえと思う時があると思います。それは人に対してかもしれないし、自身に対してかもしれません。

しかしその感情に支配されるには理由があるはずで、怒りや、憎しみをぶつけてきたからかもしれません。


私もそのような感情に支配される一人で、人を憎むし、赦せない人がいます。神を信じれない時だって、こんな自分でいいのかと自分を赦せない時があります。

皆さんも赦せない人いるのではないでしょうか。自分を赦せない時あるのではないでしょうか。皆さんを深く傷つけた人。綺麗事ではいられない家庭。体に痛み、絶望の底へと沈ませる現実。そんな歪みを抱えた世界で生きる私たちに、「赦せない人がいるのを知っているよ。あなたを苦しめる人、現実、知っているよ。あなたの体の痛み、

苦しみ、怒り、全て知っているよ。それでもあなたは何度だって赦すんだ。なぜなら私があなたを何度も見つけ出し、何度も赦したのだから。あなたの罪、怒り、憎しみ、赦せない気持ち、その十字架を私が背負うから、何度だって赦しなさい。」とイエスは語っているのだと思います。


今日語られた福音の始まりは、一番弟子であったペテロの質問からでした。「先生、私に対して罪を犯した人を何回赦すべきですか。」するとイエスは「何度だって赦しなさい。」と語られました。

ペテロだけでなく、イエスと十二人の弟子たちは時に人々から、馬鹿にされ、無力で、神を騙る汚い罪人だと蔑まれていました。

皆さんを馬鹿にする人、また苦しめる人、何回赦せるでしょうか。何回も赦せるよ、と言う方いらっしゃるでしょうか。何度も赦せる人、今日ここにいる人の中で一人もいないと思います。しかしイエスは、そんな赦せない私たちを、ペテロを、弟子たちを知っていました。


皆さん突然ですが、私が清水さんに100万円を借りていたとします。しかしそんな大金を学生である私は一度に返せないので「もうちょっと待ってください。」と言いました。

そんなことを言った直ぐ後に、ひびき君に会いました。ひびき君にはサイゼリアで1000円分のお金を貸していました。だけどひびき君はその時、1000円を返せなかったので、私は首を絞めてぼこぼこにしたのです。


皆さんどうですか。ケチで、愛がなく、優しさの欠片もない人だと思いませんか。

しかし聖書は、このような人物を私たちだと言っているのです。確かにそうではないでしょうか。


皆さんがこれまでどのような人生を過ごしてきたか、私は知りません。しかし、皆さんが生きてきた中で、人を傷つけたことはないでしょうか。これまで生きてきて、言葉で、時には暴力で人を傷つけたことはないでしょうか。それだけではなく、助けを求めている人がいるのに無視してはいないでしょうか。助けを呼ぶ声に知らないふりをして生きてはいないでしょうか。自分が知らず知らずのうちに、人を傷つけきてはいないでしょうか。

逆に皆さんが誰かに傷つけられた経験があるのではないでしょうか。

そして皆さんが犯してしまった罪、失敗を赦された経験もあるのではないでしょうか。

だからこそイエスは、「あなたがどんな過去があろうとしても、今どんな状況、どんな健康状態だとしても、あなたの人生がどんなに今不安定で歪んでいたとしても、私はあなたを赦し、愛してきた。だからあなたも赦し、愛してあげるべきではないのか」と今日、イエスは私たちに語り掛けているのではないでしょうか。


「私も多くの人から、馬鹿にされ、蔑まれ、唾をかけられてきた。だからあなたの苦しみ、知っているよ。たしかにあなたは神に対して、私に対して赦されないことをしてきた。あなたはこれまで多くの罪を犯し、人を傷つけてきた。そしてあなた自身も、人から傷つけられ、苦しんできた。生きるのが辛くなり、希望が見えなくなったこともあるだろう。そんなあなたを私は知っているよ。だからこそあなたは人の苦しみが分かるのではないのか。あなたが罪人だからこそ、同じ罪人である隣人を赦すことができるのではないのか。」とイエスは語っているのです。


生きるのが辛くなり、希望が見えなくなる人たくさんいると思います。神なんて、教会なんて、家族なんてと思うかもしれません。今、この時だって生きるのが辛い人いると思います。どれだけ苦しいでしょうか。人を赦す心の余裕なんてないかもしれない。しかし、そんな皆さんをイエスは知っています。皆さんの心の針、罪を知って、赦した主イエスキリストが、皆さんの今の状況を知らないはずがありません。

これまでの人生の中で罪を犯してきたこと、理不尽な現実、人に傷つき、苦しんできたこと、色んな経験が今の皆さんを形作っているでしょう。「そんなあなたを赦しているよ。そんなあなただからこそ愛しているよ。」と言ってくださる主イエスが、「だからこそ、今罪を犯している人、今苦しみ、希望が見えない人とその傷を共有し、その人を愛してほしい。」と語っているのではないでしょうか。


今も生きておられ、新しいことをなさるイエスキリストが今日あなたの傷口に触れたのであれば、今傷を負っている人を愛し。この瞬間あなたの背負っている十字架が軽くなったのであれば、あなたと共にいてくださるイエスと一歩踏み出し、罪人である人を、また自分自身を赦していきたいと思います。

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